2012年7月13日金曜日

山田経営維新塾メールマガジン」VOL14,2012.7.13号

テーマ 「手紙は」



宿題の②「はがきを10枚書く」は大変だったではないでしょうか。
これも「クセになる」ほど習慣化するのがコツです。

と言っても、言うはやすしだったかもしれないですね。
10人にはがきを出す、慣れてしまえばそれほど苦にならないことも、
書き慣れていない人にはとっては、数行であっても「苦痛」かと思います。

ビジネスは「前半主義」で行くべきです。
6月初めに維新塾があり、そこで宿題が出た。
1週間以内に10枚書いた人、いるのだろうか。
間際になって、土俵際に追い込まれて書くのでは、通りいっぺんになるのがオチ。
ビジネスは前半、こっちがいきなり押しこんで、相手の土俵で取っていないと苦しくなる。
時間の区切りで言えば、朝一番、遅くとも午前中で、
その日のメインになる仕事は片づけてしまう。


2012年7月11日水曜日

「山田経営維新塾メールマガジン」VOL13,2012.7.10号 名刺はビジネスする人の飯のタネ


名刺はビジネスする人の飯のタネ


山田経営維新塾も4回目、ようやく気ごころが知れてきたようですね。
私の出版記念パーティーでの塾生たちの気配り、見事でした。
司会をしてくださった鈴木純子さんに対しても、皆さん声掛けをするなど、
塾としてのまとまりが感じられました。
良い仲間、よい同士たち。
そういった雰囲気は外部の人たちにも伝わるんですね。
多くの人から「頼もしいですね」「堂々としている」などとお褒めの言葉を頂戴しました。


2012年7月2日月曜日

「山田経営維新塾メールマガジン」VOL12,2012.7.1号


昨日、私の2冊目の著書『“非常識”社長の「維新」を起こす経営』(ミーツ出版)の出版記念パーティーが静岡市のホテルで開催されました。日曜日の宵、あいにくの雨中という条件にもかかわらず、多くの友人・知己が駆けつけてくれました。
いただいた祝辞はいずれも率直で鋭く、かつ温かく、こころに沁みるものでした。
そのことにまず、深く御礼申し上げます。


このパーティー、私が4月から始めた「山田経営維新塾」の塾生12人が発起人となり、実現したものです。そして発起人代表には、明治・大正・昭和を生き抜き日本資本主義の父と言われる渋沢栄一翁の5代目の子孫、渋澤健日本国際交流センター理事長が就いてくれました。地方の会社、一製茶会社の創業者に過ぎない私にこのような会はふさわしいとは思えず、当初は辞退しようかと考えたくらいですが、塾の一期生たちが言いました。
「いいではないですか。塾のことをもっと知ってもらうチャンスです。わたしたち自身が(塾長を)お祝いしたいんです」
これを聞いて、すべてお任せすることにしました。

実は、秀和システムという出版社から上梓した1冊目の著書『23年連続で増収増益 小さなNo.1企業の秘密』で私が第一番に言いたかったことは、「任せる経営」ということでした。
人を大切にする会社にしたい、社員さんを育て夢をもって働いてもらう、そのために社員教育に力を入れる、言いにくいことを言い、時に厳しく叱りもする。そういう中で、人を最も成長させるのは「すべてを任せる
ということに尽きます。
会社経営でもそうですが、これは言うのは易く、それを実行するのは難しい。落ち度があったらどうしようと考えてしまいます。切り抜ける方法はただ一つ、トップリーダーが起こり得るすべての事態に対して責任を負う覚悟を持つ、ということです。
でも今回、そのような覚悟は不用でした。
一期生12人は若・中・熟と世代も経験も異なりますが、バランスが取れていて、出会って3ヵ月の仲に見えないのです。チームワークよく、各自の役割を果たしてくれました。
司会を務めた女性も塾生です。一所懸命にやってくれ、その懸命さが会場に伝わりました。会の途中、フルートとハープのやわらかな二重奏が参会者の歓談を盛り上げてくれました。これも一期生たちの心にくい演出でした。

みなさんへのお礼のつもりが、主宰する塾の自画自賛になってしまいました。お許しください。
私は今年65歳になりました。少しばかり遅れた感じがしますが、夢を現実のものにするために新しい仕事を始めたのです。
会社経営を始めた37歳のとき、『売上100億円の企業に、そしてできれば上場したい』と思いました。残念ながら、私の器量でそれを実現させることはできませんでしたが、この間、私なりに掴んできたものがあります。
経営上の細かいノウハウ、時代の読み方、個々の対応方法からトップリーダーの在り方まで…。正直言って、自分自身が今なお“成長の途上”ですが、歳のせいでしょうか、自分が掴んできたものを伝えたくて仕方がないのです。
『“非常識”社長─』でもその一端を記しました。
さらに、そこから先があります。
経営者の人間力こそが最大の経営資源であり、成長していくためのカギであると思っています。逆に言えば、会社を運営していくすべての責任は社長が負わなければなりません。トップリーダーの責任は重い。そこを命がけで教えていきたい、と言うのが私の夢であります。
そのために選んだ方法が「山田経営維新塾」なのです。
橋下徹さんの「大阪維新の会」が有名になってしまい、「維新
の意味、すべてをあらためる、一新するという前向きの志向が、ややもすると別の意味に取られかねませんが、社長が変わり会社を変えるという強い意志を、「維新」という言葉にこめたつもりです。

私は65歳で自分の塾を開設しました。ミーツ出版株式会社の石川秀樹社長も62歳で創業です。石川さんとは不思議なご縁で、出会ってまだ7ヶ月の間柄ですが、相通じるものを強く感じています。反骨精神と言うのか、常識にとらわれないおおらかさと言うのか、この人といると「年齢の壁」というものを感じません。引き込まれるように「維新塾」のプレ講義である今度の本の出版をお願いした次第です。
彫刻家、平櫛田中(ひらぐし・でんちゅう)は「5060鼻たれ小僧、7080働き盛り、90でお迎えが来たら『100まで待て』と追い返せ」と言いました。さらに「男ざかりは100から100から」と豪語、100歳の誕生日を前に、30年分の彫刻材料を購入したと言います。107歳で生涯を閉じたこの田中翁に及びもつきませんが、塾生の中から上場企業の社長が誕生するまで、自分のエネルギーを注ぎたいと思っています。
出版記念のパーティーが盛況のうちに終了したことを感謝するとともに、これからの抱負を述べさせていただきました。



ありがとうございました。
すべてのことに感謝いたします。